阿佐ヶ谷美術専門学校

美術とデザインの三年制美術学校(東京都杉並)様々なカリキュラムで美術とデザインを学びます。デザイナー、クリエーター、イラストレーター、アーティスト、作家など様々な分野へのアプローチをサポートします。このサイトはRSS配信を行っております。

携帯サイトはこちら



「ALWAYS 三丁目の夕日」日本アカデミー賞 優秀賞 表示

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」が第29回日本アカデミー賞の邦画作品に与えられる13部門全ての優秀賞に輝きました。

講演会中の山崎貴監督◆「アサビフェスタ山崎 貴 監督 講演会」
  採録 2005年10月9日 15:00-

「ALWAYS 三丁目の夕日」のホームページCopyright
「ALWAYS 三丁目の夕日」製作委員会

卒業生を代表する映画監督の一人、山崎貴さんがアサビフェスタにゲスト講演。
撮影にまつわるエピソードや学生時代を振りかえっていただきました。

山】=山崎 貴 監督(S61年デザイン科卒)
司】=司会 松岡 和彦 先生(S60年デザイン科卒)

司】
現在「白組」という会社に所属し、会社員でありながら映画監督をされている山崎監督です。監督とは学生時代に白組にバイトに行って、二人して大声で話していたら担当の人に怒られたのを覚えています。(笑)
山】
最近ではサラリーマン監督っていうのも多くなってるんですよ。映画監督っていうのは作業の待ち時間が多いんですが、あいた時間をCMなどの違う仕事をしたりして有効に使えます。ただ、映画がヒットしてもお給料は上がらない。(笑)
司】
今回の「三丁目の夕日」は前の2作品(「ジュブナイル」「リターナー」)と違ってSFではないですよね。どうしてこの映画を撮ることになったのですか?
山】
「昭和というのは力のある時代だ」と思っていて、周りにずっとそう言っていたら「昭和を再現する」という話を頂いたんです。最初はエンターテイメントとして成立するか疑問でしたが、原作が「三丁目の夕日」と聞いてやれそうな気がしてきたんです。30年代を再現する作業は楽しかったし、その頃の人たちの雰囲気は人情話をやっても違和感がなかったので良いなと思って。ただ、僕自身はうまれたのは30年代でも育ったのは40年代なのでその頃のことは実体験してないんですけど。

▼詳細情報

司】
監督はどんな少年時代だったんですか?
山】
絵を描いて、粘土でものをつくったり…今と変わらないですね。中学3年生の時にはSF映画に挑戦しました。実は小学生の時にやりかけたんですが、フィルムにお金がかかるので一度諦めたんです。そして感受性の豊かなときに「未知との遭遇」に出会い、「スターウォーズ」で特撮を目指そうと決めました。高校生でアサビに見学したときに16mmカメラとハンディカメラがあって、人も少なそうだったので機材が使えそうだなと思い入学を決めました。
実際入ってみるとその頃の映像ゼミは部活動みたいな雰囲気があって、機材も自由に使えて楽しかったです。当時助手をされていた橋本満明さんにはいろんな事を教わりました。会社に入ってから教わったことより多いんじゃないかな。一つ上の学年には今一線で活躍している寺田克也さんと竹谷隆之さんが居ました。映像以外にイラストにも興味があったんですが、寺田さんの絵を見て「こんな人がいっぱいいるなら無理だな」て諦めたんです。あとで(寺田さんレベルの人は)いっぱいは居ないと気づいたんですが。(笑)
司】
竹谷さんは世界的にも有名ですよね。あのナイキの社長さんが自家用機で作品を買いに来てるとか。(笑)
山】
映像系でも佐藤嗣麻子さん(監督・脚本家)や、アニメーターの西内としおさんや木村光宏さんと出会ったりと、すごく刺激的な学生時代でした。
司】
“白組”に入るきっかけはどうだったんですか?
山】
アサビに求人が来ていたんです。ちょうどあの頃はつくば万博の展示模型の製作などで、猫の手も借りたいぐらい忙しかったんですね。最初アルバイトで行ってたときに“人工衛星つくれる人居ないか?”ってことになって。ちょうど自分の作品ファイルに前に撮影でつかった模型の写真が入っていて、その仕事を任されたんです。
この頃CGとかミニチュアやモーションコントロールを特撮に使う時代に入ってきていたので、白組の中にもそういう部署をつくろうという時で、親方が居ない状況で新しい部署を任されたんです。実は私自身はいまだにビデオの留守録ができないくらいのメカ音痴なんですけど。(笑)

(三丁目の夕日のメイキングDVDを見ながら、撮影について解説していただきました)

山】
都電の走る“大通り”のシーンでは、最初におおまかなCGでカメラワークを説明し、関係の部署にやりたいことを理解してもらいます。実際に撮影するセットでは一部分に本物など実際のものを使います。これがCGで作り込んでいくときに“リアルにする”度合いの目標にしました。“夕日町にもどってきたオート三輪”のシーンでは横を走る都電はCGなんですが、実測したデータから本物そっくりにコンピュータで作り込んでゆきます。そのきれいな状態の都電にマッティングして表面を汚す作業が入ります。同級生の林隆之さん(マットペインター)には頑張ってもらいました。
司】
黒沢 明 監督は“観客は見えないけど感じるから”って画面に映らないところまでセットをつくっていたっていうしね。
山】
この映画のメインターゲットが少し年齢層が上の人たちなんですが、見てくれた人に「まだこんなところが日本にも残っているのね」って思ってもらえるレベルを目指しました。“上野駅のシーン”では1000人を当時の衣装のエキストラで用意するのは難しかったので、100人のエキストラと130人のデジタルエキストラを用意して合成しました。実際のセットは奥行きがあまり無かったのですが、東京駅の大きな空間が再現できたと思います。
東京駅のシーンも当時の資料があまり無かったので苦労しましたが、ここでも林の“昭和30年代オタク”に助けられました。林は普段スクウェアでゲームの背景などをやって居るんですが、昭和30年代をテーマにしたこの映画の話を聞いて「俺にくるべき仕事が来た!」と思ったらしいです。林はアサビの卒業制作もマット画(映像などの背景画)をやったぐらい裏方をするのが好きで、みんなが上に立ちたいわけではなくて裏方する人も大切です。人との出会いも学生時代の大切なことで、学校には半分人脈づくり行ったとも言えます。何者でもない時に知り合っているので、どうつきあえばいいのかとか、これをふればこれくらいの仕事をしてくれるだろうと予測がつくことも助かります。

(講演会を聴きに来ていた方々の質問に答えていただきました)

Q】
学生時代にやっておけば良かったことは?
山】
学生時代に悔いはないです。今のようにコンピュータが有ればもっと良かったとは思うけれど、オプチカル合成の最後の時代を体験できたことも役に立っています。絵はもう少し上手くなってれば良かったかな。
Q】
映像を目指す後輩にアドバイスをお願いします。
山】
コンピュータ全盛ですが、絵を描けることに越したことはないですね。CGでもその手前は全て手作業ですし、手で出来ないことはCGでも上手くいかないです。コンピュータがあって良いと言ったのは“トライ&エラー”を短時間で繰り返し出来るのでクォリティーを上げてゆくのにやりやすくなりました。ただ、楽にはなりませんね。やればやるほど良くなるので、むしろ大変になった。(笑)
Q】
好きな映画監督は誰ですか?
山】
黒澤 明 監督は昔から好きです。リドリー・スコットやテリー・ギリヤムは好きと言うより仕事をする上での遠いライバルというか“いつかはぬいてやる”ぐらい思っていないと映画監督は出来ませんね。
司】
本日はどうもありがとうございました。





 

当サイト内全ての掲載記事・写真・作品等は阿佐ヶ谷美術専門学校に帰属します。 転載・複製などの利用には当校の許可が必要です。また、サイト内の画像への直接リンク(他サイトへの投稿や書きこみを含む)を禁じます。

©2011 ASAGAYA COLLEGE OF ART AND DESIGN - All Rights Reserved.  Valid XHTML 1.0! rdf


empty