阿佐ヶ谷美術専門学校

美術とデザインの三年制美術学校(東京都杉並)様々なカリキュラムで美術とデザインを学びます。デザイナー、クリエーター、イラストレーター、アーティスト、作家など様々な分野へのアプローチをサポートします。このサイトはRSS配信を行っております。

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あさび新聞

   

Vol.30 松本 隆応 表示

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震災後の状況に対して、
とにかく「落ち着こう、冷静になろう」と訴えたかった。


松本 隆応
Takamasa Matsumoto
株式会社アーツ勤務


【プロフィール】
1985年、宮崎県生まれ。
'04年3月、宮崎日本大学高等学校卒業。
'07年3月、阿佐ヶ谷美術専門学校視覚デザイン科卒業。
同年4月、株式会社アーツにグラフィックデザイナーとして入社。
'09年、「Makeachanceday」シンボルマークデザイン優秀賞受賞。
'10年、「BookinTypoaward」グランプリ受賞。
'11年、東日本大震災による品不足・買占め現象を受けて、独自にインフォグラフィック(ポスター)を制作。Twitterでの発信・呼びかけに多くの人が共鳴、ポスターは様々な場所に掲載された。
同年5月、JWDA(日本WEBデザイナーズ協会)とマルチメディアスクールWAVEによる企業や店舗、家庭で使える「節電促進」ポスターの公募展で審査員を務めた。

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(写真左)品不足・買占め現象を止めるためのポスター。
(写真右)松本さんがデザインしたカタログやパンフレット。

東京港区赤坂8丁目。外苑東通りから少し奥まった閑静な場所に、株式会社アーツはあった。ここはグラフィックデザインを中心とした広告制作会社であり、松本隆応さんはグラフィックデザイナーとして様々な業務に携わっている。大手広告代理店から依頼されるルーティンワークのほかに、競合プレゼンで勝ち取った仕事もこなしているという。

「メインで担当しているのは、携帯電話会社の総合カタログです。ページ数が多いので、チームを組んで制作しています。イントロページやアプリのページなどは、デザインのイメージづくりからモデル撮影まで行っています。そのほかに、大手電機メーカーのパンフレットは企画・構成・デザイン、さらにムービー制作までトータルに担当しました」

松本さんは東日本大震災後に、まず節電を呼びかけるポスターを制作。その後、Twitter上で品不足・買占め現象を止めるための情報「買占めの皆様へ。」を見つけ、これを視覚的に分かりやすく伝えるポスターを制作し公開、再掲載・再配布フリーとして利用を呼びかけた。身近な食糧や物資で何が可能なのかを、シンプルなイラストで訴求したことで話題となり、賛同者がブログなどで紹介。駅や店舗など様々な場所に貼られ、テレビをはじめ多くのメディアにも取り上げられた。

「とにかく、みんなに落ち着こう、冷静になろうと訴えたかった。ネット上では多くのクリエーターが自分の考えを発信しており、デザイナーとしてできることは、情報を一瞬で効果的に伝わるようにすることだと考えて行動しました」と松本さん。アサビの授業で特に役立ったのは、グラフィックデザインとタイポグラフィだという。自分のいろいろな疑問や質問に答えてくださった先生方には、本当にお世話になったと話してくれた。

アサビの3年間は新聞奨学生として、毎朝午前3時前に起きて新聞配達を続けながら通学していたという松本さんに、後輩たちへのメッセージをお願いした。「学生時代で特に大切なのは、自分自身に言い訳しないことだと思います。どんなことに対しても真剣に向き合って、最後まであきらめずに粘り強く考え抜くこと。その上で自分のつくったものに満足せずに、学んだことを次へと活かしていくこと。そうした小さな成長の積み重ねが、将来の大きな可能性へと確実につながっていくと思います。」

2011年11月25日


Vol.29 山内 裕太 表示

山内裕太
アサビ時代に、アーティストをサポートする
この仕事に興味を持った。


山内 裕太
Yuta Yamauchi
東京スタデオ勤務


【プロフィール】
1979年、東京都生まれ。'97年3月、私立聖学院高等学校卒業。
'01年3月、阿佐ヶ谷美術専門学校イメージ クリエイション科卒業。
アサビ在学中より、株式会社東京スタデオのアルバイトを行う。
'04年~'06年にか けて、デザイン事務所にグラフィックデザイナーとして勤務。
'07年4月、株式会社東京スタデオの制作部入社。
以来、一貫して美術館などで開催される、各種美術展の会場をつくる業務に就く。
これまでに所属チー ムで携わった主な仕事は、'08年「赤坂アートフラワー 08(赤坂サカス)」、'09年「Stitch by Stitch(東京都庭 園美術館)」、'10年「遊びのなかの色と形展(目黒区美術館)」、'11年「フレンチ・ウィンドウ展(森美術館)」、 「横浜トリエンナーレ2011」など。

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(写真左)「赤坂アートフラワー」での制作風景。 (小沢剛氏の作品の土台を制作)
(写真右)「Stitch by Stitch」での作品制作風景。

東京・駒込に本社を置く東京スタデオは、様々な美術展覧会の会場設営や、そこで展示される美術作品の展示施工などを専門に行っている会社である。山内裕太さんは、その制作部スタッフとして多忙な毎日をおくっている。現代美術の作品は多種多様で、ひとくくりにすることはできない。そのため、山内さんらスタッフには美術に関する幅広い知識が求められる。

「仕事の流れとしては、キュレーター(学芸員)から依頼される場合もあれば、アーティストから直接作品制作の依頼を受ける場合もあります。私たちは、その企画を具現化するための仕事を進めていきます。公立美術館の場合は、いわゆる入札を経て仕事を獲得していくという流れになります。いずれにしても、企画意図をしっかりと捉え、咀嚼することが重要です」展示される作品は平面作品なのか、立体作品なのか、あるいはインスタレーションなのか。山内さんたちは入念な打ち合わせを行い、最良の会場づくりを行っていく。必要なものは何か、どのような素材がいいのかなどを検討。もちろん、会場の図面作成も山内さんの重要な仕事だが、現場に行ってから変更や調整が必要なこともあるという。「限られた時間の中で、ベストな答えを出すことにもやりがいを感じる。何よりも、同じ仕事が一つもないという面白さがある」と話す。

そんな山内さんにアサビ時代のことをお聞きした。「私が学生のとき、アーティストの小沢剛さんが講師をしていました。小沢さんの制作ボランティアとして手伝いに行ったときに、会場施工をしていたのが東京スタデオでした。私自身もずっと平面作品をつくっていたのですが、発表の場をサポートするこんな仕事もあるのかと興味を持ち、アルバイトをさせていただいたという経緯があります」

最後に、後輩たちへのメッセージをお願いした。「私はイメージクリエイション科だったのですが、コンピュータの授業も受けていました。いま、図面作成ソフトを使っていて、その操作方法は仕事をしながら覚えていったのですが、コンピュータの基礎を習得していたので随分助かりました。その他、先生や友人から刺激を受けたり、人とのコミュニケーションの大切さも学びました。やはり、いろんなことに目を向け、知識を吸収することが大切なのではないでしょうか」



2011年9月27日


Vol.28 佐々木 弥生 表示

佐々木弥生
大好きなイラストやデザインの仕事に就く。
その幸せを実感しながら、日々の業務に取り組んでいる。


佐々木 弥生
Yayoi Sasaki
エディター&デザイナー


【プロフィール】
1984年、福島県生まれ。
'02年3月、福島県立福島西高等学校デザイン学科卒業。
'05年3月、阿佐ヶ谷美術専門学校イメージクリエイション科卒業。
在学中より、飛鳥新社発行の季刊雑誌「S~エス~」編集部でアルバイト。
卒業後、株式会社飛鳥新社に入社し、「S」編集部に配属。
「S」では取材・編集・記事制作など幅広い業務を行う。「SS~スモールエス~」では表紙やメイキングページのデザインおよび写真撮影など。また、不定期刊行の雑誌「少女世界」や「少年之國」のデザインおよびロゴ制作を担当。さらに「メビウスB砂漠の40日間」「小林系作品集notebook」「天空のビバンドム」「田島昭宇ラフmix画集ロザリオイエティ」など、書籍や作品集の編集・デザインにも携わる。
壱太助丸というペンネームで、オリジナルのイラスト作品も発表中。

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(写真左)佐々木さんが編集・デザインしている雑誌や書籍
(写真右)佐々木さんのイラストコンセプトは「中性的」なもの

日本屈指の古書街・神田神保町。この街の一角に本社を構える飛鳥新社は、雑誌、ビジネス書から漫画に至るまで幅広い本を発行している出版社として知られる。佐々木弥生さんは、同社の季刊雑誌「S」のエディター兼デザイナー。この雑誌は漫画・イラスト・アニメ・ゲームなど、クロスジャンルな世界を紹介しながら、物語とビジュアル表現をレポートする総合誌だ。「エディターとして雑誌や書籍の編集の仕事を行いつつ、デザイナーとしてエディトリアルデザインも担当しています。雑誌によってはタイトルロゴのデザイン制作、表紙まわりのデザインも手がけます。メイキングの写真撮影やライター業務など、できる仕事は編集に限らず担当中です。とにかく今は任せていただけることに、すべて全力で取り組んでいます」

そんな多忙な毎日をおくる佐々木さん自身も、実はイラスト作品を描いており、「S」や「SS」への投稿を今現在も続けているという。小さい頃から絵を描くことが大好きで、高校ではデザイン科のある学校へ進んだ。その後、アサビに入学しイメージクリエイション科を選んだのは、「何より自由な雰囲気だったことと、いろんなタイプの人がいて楽しそうだったから」と話す。

私はアートよりもイラスト寄りの絵を描くので、周りにアート志向の人が多いことが刺激になりました。大きなサイズのダイナミックな作品に取り組んでいる人もいて、そうした作品づくりのプロセスを間近に見ることができて興味深かったです。授業で印象に残っているのは、エディトリアルデザイン。課題でPR誌をつくったのですが、そのときの先生が、私の作品をすごく褒めてくださいました。そのことがとても嬉しくて、その後の大きな自信につながったと思っています」

最後に、後輩たちへのメッセージをお聞きした。「編集やデザインの仕事は、実際の現場を体験しながらひとつひとつ覚えていくことが大切です。私自身 切磋琢磨しながらプロとしての腕を鍛えているところ。もちろん大変なこともありますが、大好きだったイラストやデザインを、自分の仕事にできている幸せを実感せずにはいられません。学生時代は、少しでも興味のある授業は受けたほうがいいと思います。そこから自分の可能性をどんどん広げていってください」

2011年7月12日


Vol.27 越膳 博明 表示

越膳博明さん
様々な人とコミュニケーションを取って成長していく。
アサビには、そのために必要な環境が整っている


越膳 博明
Hiroaki Echizen
インテリアデザイナー


【プロフィール】
1979年、東京都生まれ。
'98年3月、東京都立片倉高等学校卒業。
'01年3月、阿佐ヶ谷美術専門学校ス ペースデザイン科卒業。
同年4月、株式会社乃村工藝社入社。
'04年、ボーダフォン六本木直営店/全国 展開プロトタイプ店舗のデザイン・基本設計/実施設計。'07年、リブロララガーデン春日部、リブロ鴻巣 のデザイン・基本設計/実施設計。
'08 ~'11年、全国各地のアディダス オリジナルスショップおよび、アディダス パフォーマンスセンターの基本設計/実施設計。
'10年、アメリカン・エキスプレス ギャラリー(大阪国際空港内)のデザイン・基本設計/実施設計。
'11年、トレーディング・ポスト名古屋の店舗デザイン。さらに、都市銀行のデザイン、家具デザインなども手がける。

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(写真左)アメリカン・エキスプレス ギャラリー 大阪国際空港
(写真右)トレーディング・ポスト名古屋

乃村工藝社は商業施設のインテリアデザインから販売促進イベント、博物館や万博パビリオンまで幅広い業務を行っている。業務内容はディスプレイの施工にとどまらず、企画デザイン・設計、施設運営などの集客環境づくりにも及ぶ。インテリアデザイナーの越膳博明さんは、この乃村工藝社の商環境事業本部クリエイティブ局デザイン1部に勤務している。

 「主に所属しているルームでは、全国どのお店でも同じデザインで同じサービス提供を行える環境を提案する、多店舗展開の業態に対応するチームにいます。また、多店舗展開ではない特殊なお店を手がけることも多くあります。全国展開の場合、比較的規模の大きなクライアントが多いですね。直接、仕事を依頼されるケースと、コンペティションに参加するケースがあります」

 これまでに全国各地のアディダス オリジナルスショップや、空港内のアメリカン・エキスプレスの接客スペースなどを担当してきた越膳さん。今年は4月にオープンしたセレクトシューズショップ、トレーディング・ポスト名古屋のインテリアデザインも手がけた。室内のデザインはもとより、建築・建物の外観に関してもデザインイメージを提供したという。靴づくりに使う革をレジカウンターの壁に飾ることで、「このショップならではの老舗感や職人の技を演出した」とこだわりについても話してくれた。  「中学生の頃から美術が好きだったので、高校も造形美術コースのある学校へ通いました。アサビに入学後、最初はプロダクトデザインをやろうと思っていたのですが、勉強するうちにもっと大きな空間デザインへ興味が移っていきました。アサビ時代はとても楽しかったですね。朝から晩まで学校にいて、好きなことに取り組んでいた感じです。卒展では実行委員長も務めました。」

 最後に、後輩たちへのメッセージをお聞きした。「授業はもちろん基本ですが、その延長線上にある興味の対象や視野を広げ、考え方の引き出しを増やすことも大切です。アサビにはデザインだけではなく、絵画やデジタル系の学科もあります。いろんな人たちとコミュニケーションを取り合い、刺激を受けて成長できるのもメリットです。そのなかで、自分の目指すものをしっかりと見つけ出してください」

2011年4月20日


Vol.26 桂 正和 表示

桂 正和さん
常識を鵜呑みにしない。肯定ではなく否定から入る。
アサビでは、人と違う角度で見る姿勢を学んだ。


桂 正和
Masakazu Katsura
漫画家


【プロフィール】
1962年、福井県生まれ、千葉県育ち。
'81年3月、木更津中央高等学校(現:木更津総合高等学校)卒業。
同年4月、阿佐ヶ谷美術専門学校デザイン科入学。
アサビ在学中に週刊少年ジャンプ32号掲載の「転校生はヘンソウセイ!?」でプロのマンガ家としてデビュー。 同作品で手塚賞に準入選。
'83年週刊少年ジャンプ 5・6合併号より初連載「ウイングマン」をスタート。
その後「電影少女」「D・N・A2 ~何処かでなくしたあいつのアイツ~」「M エム」「I"s(アイズ)」など、多くのヒット作品を生み出す。
'98年、イラスト集「4C」を発売。
'02年より活動の場を週刊ヤングジャンプに移し「ZETMAN ゼットマン」の連載を開始。

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(写真左)桂さんのほとんどの作品はコミックス化されている。
(写真右)「I"s」の初期までのイラストなどを収録した「4C」。

ヒーローを主人公としたアクション作品、美少女が登場するラブコメディや恋愛作品。その時代時代で多くの読者の心をつかむ作品を、桂正和さんは生み出し描き続けている。アサビの学生時代にデビューして以来30年以上。優れた才能がひしめき合うマンガ界で、常に第一線で活躍している桂さんにお会いするため、杉並区内にある仕事場STUDIOK2Rにうかがった。

「デビューしてから現在まで、正直、あっという間でしたね。そんなに長くマンガを描いていたのかという感じです。私の場合、週刊少年ジャンプでの連載が長かったので、毎週締め切りがあります。それこそ日々、作品づくりに全力で取り組んでいました。連載が終了したらゆっくり休めるというわけではなく、次の作品のアイデアを探し練り上げていかなければいけません。」

現在は、青年誌ヤングジャンプで「ZETMAN」を連載し、絶大な人気を集めている。絵のタッチもこれまでとは異なった、よりリアルで劇画的な雰囲気。少年誌では描けなかった暴力など、過激な描写も含まれている壮大なSF作品である。また、桂さんはマンガ連載以外に、最近ではテレビアニメ「TIGER & BUNNY」のキャラクターデザインなどの仕事も手がけているという。「いまは、様々な情報が瞬時に手に入る時代。一見、恵まれているように見えますが、私はそうは思いません。みんなが同じ情報を持っているので、思いついたことが面白いアイデアに発展しづらい。私はアサビで肯定ではなく否定から入ること、常識を疑うことを教わりました。もっともっと人と違った角度で見てみる。そういう姿勢が学べて本当によかったと思っています。」

最後に、後輩たちへのメッセージをお聞きした。「とにかく、いまは多様性の時代です。自分が面白いと思っても、なかなか多くの人たちに共感してもらうことが大変な時代です。その難しいことに、あえてチャレンジしていくこと。大勢の人たちの心を捉えるものを考えていくこと。そこにしかオリジナルのモノをつくり出していく喜びはない。私はそんな風に考えています。」

2011年3月16日


Vol.25 乙葉 茂 表示

乙葉茂さん
いいデザインは、受けとった人を幸せにさせる。
そのためには、人とのコミュニケーションはかかせない。


乙葉 茂
Shigeru Otoha
プロダクトデザイナー


【プロフィール】
1965年、東京都生まれ。
1983年3月、都立荻窪高等学校卒業。
1991年3月、阿佐ヶ谷美術専門学校デザイン科(プロダクトデザイン専攻)卒業。同年、株式会社東芝のデザインセンターにプロダクトデザイナーとして入社。当初は調理家電(コーヒーメーカー、保温釜)やエアコンなどの家電製品のデザインを担当。
1998年より医用機器のインターフェースデザインに携わる。
2009年、全身用X線CT診断装置「Aquilion ONE」のデザインで、第39回機械工業デザイン賞の最優秀賞・経済産業大臣賞を受賞。同年にグッドデザイン賞を受賞した超音波診断システム「Viamo」をはじめ、数多くの医用機器のインターフェースデザインを手がけ高い評価を得ている。

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(写真左)超音波診断システムViamo。
人と機器の関係の最適化が乙葉さんの仕事。

(写真右)Aquilion ONE。
安心感、分かりやすさ、操作のしやすさを実現したデザイン。

超音波診断装置、MRI、マンモグラフィーなど、東芝では最新の医療現場のニーズに応える様々な医用機器を開発している。乙葉茂さんは、主力製品の一つである全身用X線CT診断装置のインターフェースデザインを担当。東芝のデザインセンターに勤務するプロダクトデザイナーとして、乙葉さんは入社以来、これまでに多くの機器のデザインを手がけてきた。

「医用機器には、すでに10年以上携わっています。特に、私はモニターのGUI※やスイッチなどのインターフェースデザインを担当。つまりドクターと患者さん、この両者と機器をつなげる役目を担っています。製品の企画段階から加わり、技術部と意見交換しながら、コストをはじめ様々な制約をクリアしていく。もちろん、医療現場に足を運んでの情報収集は不可欠なことです」

もともと「絵やマンガを描くことが大好きだった」と話す乙葉さんだが、中学のときにつくったストップモーションアニメをきっかけに映画に傾倒していく。映画づくりはもちろん、演じるほうの役者への興味も膨らんでいった。高校卒業後もエキストラを続けるなど模索の日々を重ねていくが、なかなか思うような方向には進めない。そこで一念発起、デザイナーを目指してアサビに入学した。

「当時は、日比野克彦さんのダンボールアートが脚光を浴びていました。あれぐらいなら自分にもすぐできる=女の子にもモテる(笑い)という甘い考えを持っていたのですが、見事打ち砕かれました。デザインは考え方であり、ものの見方ですから当然です。学校ではデザインの本質や、生き方そのものを教わりました。お世話になった先生方は、今でも私の恩人です」

最後に、後輩たちへのメッセージをお聞きした。「いいデザインというのは、受けとった人が幸せになれるもの。そして、その幸せが持続していくものだと思います。その具現化には、人を知ることが重要です。同級生、先輩、後輩、先生方など、多くの人たちと関われる学生時代は、自分を客観視するための基礎を学ぶ時期でもあります。何よりも、人とのコミュニケーションを大切にしてください。」

※GUI:Graphical User Interfaceの略。画像(アイコン、メニュー、ボタンなど)を駆使して操作性を高めたユーザーインターフェース。

2011年2月5日


Vol.24 内田優子 表示

内田さん顔写真
短大の2年だけでは時間が足りなかった。
自分に必要な写真技術を学びたくてアサビに入った。


内田 優子
Yuko Uchida
フォトグラファー


【プロフィール】
1976年 茨城県生まれ。
1995年3月 茨城県立小川高等学校卒業。
1997年3月 女子美術短期大学(造形科・情報デザイン専攻)卒業。
1998年3月 阿佐ヶ谷美術専門学校研究科(写真専攻)修了。
同年、株式会社リオ・クリエイティブに入社し、集英社のスタジオマンとして様々な撮影現場に接しながら商業写真の基礎を学び取る。
2002年 株式会社千代田スタジオに入社。
入社後、集英社の写真室へ出向。その後、会社に戻りフォトグラファーとして写真撮影業務にあたる。女性ファッション誌の撮影を中心に、現在はアパレル会社のカタログやブランドブックなどファッション関連の撮影も精力的にこなす。

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内田さんが撮影した写真作品

東京・神田神保町にある千代田スタジオは、大手出版社・集英社の関連会社である。この会社に勤務している内田優子さんは、フォトグラファーとして活躍している人物だ。ノンノやモア、セブンティーン、ピンキーなど、集英社をはじめ他出版社の女性ファッション誌に掲載する写真撮影を中心に担当。モデル撮影はもちろん、洋服やバッグなどの商品撮影まで幅広く行っている。

「短大ではデザイン全般を学んでいました。卒業制作で写真を媒体にした作品をつくったときに、先生から『もう少し、写真のことを勉強してみたら』とアドバイスを受けました。もともと2年では学び足りないと思っていたことと、この一言がきっかけとなり、写真への興味が自分の中で広がっていきます。そこでアサビの研究科に入り、写真を学ぶことにしました」

自身のアート作品のために必要な写真技術を学ぶことが、アサビに入った理由だと話す内田さん。アサビには第一線で活躍するフォトグラファーが先生として揃っている。写真とは何かを学びとる写真論の授業、商品撮影の技術を学ぶ授業、さらには自分たちの手で行う現像など...。内田さんはアサビの研究科での1年間を通して、写真の魅力に引き込まれていった。

「私は、写真の専門的な技術はまったく知りません。でも、周りにいるのは写真が大好きで、本気モードの人たちばかり、いい刺激を受けられる恵まれた環境でした。そして、よりステップアップを目指し、いまの会社に入社。日々、撮影の仕事に携わる中で、商業写真の本質や楽しさも理解できました。アサビでの1年間は、私にとって大きな意味があったと考えています」

最後に、後輩たちへのメッセージをお聞きした。「私の例をみてもわかると思いますが、必要な努力を怠らなければテクニックは後からついてきます。それよりも社会に出て、いちばん重要なのはコミュニケーション能力だと思います。特に、撮影は一人ではなく、大勢のスタッフで行う仕事です。学生時代から先生や友だちなど、人と人とのつながりを大切にしながらコミュニケーション能力を磨いてください」

2010年11月22日


Vol.23 周 恵綺 表示

周さん顔写真
台湾で高校卒業後、社会に出た経験を持つ。
目的意識が明確だったので、アサビ時代は充実していた。


周 恵綺
Shu Keiki
エディトリアルデザイナー


【プロフィール】
1971年 台湾・嘉義市生まれ。
1989年 崑山高級中学卒業後、就職。
1992年 渡日し日本語学校入学。
1997年 阿佐ヶ谷美術専門学校デザイン科(ビジュアルコミュニケーションデザインコース)卒業。
1998年 同校研究コース修了。研究コース在学中から阿佐ヶ谷美術専門学校のデザイン科助手となる。その後、エディトリアルデザイン会社や広告デザインの会社勤務を経て、
2003年 hottype工房にエディトリアルデザイナーとして入社。エディトリアルデザイン以外にも、学生時代よりモノクロ写真撮影を行っており、第12回、14回写真『ひとつぼ展』、2000年フィリップモリス アート アワード 2000最終審査展をはじめ、個展なども精力的に行い自身の作品を発表している。

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周さんがデザイナーとして関わった雑誌、ムック、書籍、教科書。

有限会社 hottype工房

東京・港区南青山。表通りから一歩入った閑静な一角に、書籍や雑誌、ムックなどのデザインを中心に行う会社、有限会社hottype工房はある。台湾出身の周恵綺さんは、この会社のエディトリアルデザイナーだ。3名のアートディレクター、そして周さんを含めた4名のデザイナーが在籍している。まずは、現在携わっている仕事の内容についてお聞きしてみた。

「比較的長期にわたった仕事に、小学生の算数の教科書があります。私は主に小学5年生の教科書のデザインレイアウトを行いました。それに伴い、先生向けのパンフレットも制作しました。サーバー系の雑誌"iMagazine"、資格取得系のムック"日経キャリアマガジン"、美容系の書籍なども担当。月刊誌の"日経PCビギナーズ"は、毎月チームで制作しています。

小さい頃から絵を描くのが大好きで、画家になりたいという夢を持っていた周さん。故郷の台湾で高校(美術工芸科)を卒業後、エディトリアルデザインの会社やプロダクトデザインの会社などで働いた経験を持っている。その後、日本へ行ってデザインを学び直そうと決意する。日本語学校で2年間、日本語を習得した後、アサビのデザイン科に入学した。

「アサビ時代は、とにかくすべてが楽しかったですね。私は一度社会に出ていますので、自分が学びたいことがはっきりしていました。デザイナーになったときのことを想定して、授業ではあえて写真を選択、卒業制作も写真作品でした。写真はいろんな公募展にも出品し、やれることはやったかなと思っています。また、助手になれたことで、学生たちとのコミュニケーションも図れました」

最後に、海外からの留学生たちへのメッセージをお願いした。「大切なのは、やはり日本語をしっかりと覚えることです。言葉がおぼつかないと相手から信用を得たり、信頼を築くことはできません。面接時には留学生の場合、言葉遣いは特に重要事項となりますので、日本人の学生よりもさらに努力を重ねる必要があると思います。その上で、広い視野を持ちながらデザインの勉強に取り組んでください」

2010年9月24日


Vol.22 小鷹拓郎 表示

小鷹さん顔写真
世界の人たちと、いかにコミュニケーションするか。
そのプロセスを記録=映像化するために行動している。


小鷹 拓郎
Takuro Kotaka
アーティスト


【プロフィール】
1984年 埼玉県生まれ
2003年3月 埼玉県立桶川高等学校卒業
2006年3月 阿佐ヶ谷美術専門学校デジタルメディアデザイン科(当時)卒業。卒業制作展にて優秀賞受賞。在学中よりアーティスト活動を開始
2006年 「Tokyo San Francisco art festival」アメリカ
2007年 「MIACA@LUX」イギリス・ロンドン、「Artist as Activist」東京、「Istanbul international film festival」トルコ
2008年 「KITA!! Japanese artist meet Indonesia」インドネシア、「20:20 VANZA Networking session」南アフリカ。「Wait for a Santa」イスラエル
2009年 「ジャカルタビエンナーレ2009」インドネシア
2010年 「オーバーハウゼン国際短編映画祭」ドイツ
世界各国を舞台にした独自のプロジェクト活動を進行中。

ポテトとアフリカ大陸を縦断する作品(小鷹さんのウェブサイトより)

小鷹拓郎公式HP

 アジア、アフリカ、中東などに滞在し、そこでユニークでオリジナリティ豊かなプロジェクトを進行し、そのプロセスを映像に記録する。小鷹拓郎さんはそうして創り上げた映像作品を、世界の美術展や映画祭などで上映し、高い評価を得ている気鋭のアーティストだ。東京・野方にある小鷹さんが経営するリサイクルショップ「こたか商店」にうかがい、様々な話をお聞きした。

「映画が好きだったので、ポスターやパンフレットなど映画関連のグラフィックに興味を持ってアサビに入学しました。しかし、ご存知のように商業的なデザインには制約があります。そこがどうしても自分には合わないと感じた。加えて、いわゆる絵画作品を描くことも、それほど好きじゃないことが分かった。結果的に、今の自分のスタイルに辿り着いたという感じです」

小鷹さんはアサビ在学中から、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールなど、東南アジア諸国に精力的に出かけていった。特にタイでは有名な首長族の女性に、1年半の時間を費やして宛てた映像型ラブレターを制作した。恋心を伝え続けた映像記録を基に構成したこの「Dear NOZOMI」という作品は、そのまま小鷹さんの卒業制作となり話題を呼んだ。

「学生のとき私は、アート系ではなくWebやコンピュータ系の学科にいました。そこでインスタレーション・映像作品をつくっていたので、少し異端児的な存在であったことは事実です。しかし理解してくれる先生もおり、とても心強かった。卒制を見てくれた美術館関係の方が僕の作品に興味を持ち、発表の場を紹介してくれ、それを機にフィールドが広がっていきました」

アサビ時代の友人とは今も交流があると話す小鷹さんに、最後に学生たちへのメッセージをお願いした。「インドネシアの裸族との共同生活、パレスチナ人たちとサンタをまつ作品、ポテトと一緒にアフリカ大陸を縦断するプロジェクト、河童の捕まえ方を教えてもらうプロジェクト...。僕の作品は、自身の表現ではなく他の誰かと繋がっていくための手段です。それに興味を持ってくれる人たちがいて、さらに繋がりが広がっていく。まずは自分を信じて行動すること、それを何よりも大切にしてほしいと思います」

2010年4月2日


Vol.21 松本 直也 表示

松本さん顔写真
絵画や絵本を創ったり、小説や映画を楽しんだり。
アサビの3年間で、創作の基本を学ぶことができた。


松本 直也
Naoya Matsumoto
マンガ家


【プロフィール】
1982年 兵庫県生まれ
2001年3月 群馬県立前橋東高等学校卒業
2004年3月 阿佐ヶ谷美術専門学校イメージクリエイション科卒業
2005年 第22回ジャンプ十二傑新人漫画賞にて「SPIRITUAL PEOPLE」が最終候補となる
2005年 第27回ジャンプ十二傑新人漫画賞にて、「ネコロマンサー」で十二傑賞を受賞
2006年 赤マルジャンプに掲載された「ネコロマンサー」で、プロのマンガ家としてデビュー
2009年 週刊少年ジャンプ27号に、JG1読切祭参加作として「ねこわっぱ!」を掲載し人気を博す
2009年 週刊少年ジャンプ50号より(〜'10年11号)「ねこわっぱ!」の連載

「ねこわっぱ!」が表紙の週刊少年ジャンプとコミックス。
マンガのキャラクターを描いてくれた松本さん。

少年マンガ誌の中でも、ダントツの発行部数を誇る集英社の週刊少年ジャンプ。松本直也さんはこの少年ジャンプ誌上に、昨年から今年にかけて「ねこわっぱ!」を連載していた期待の若手マンガ家である。猫の神様に育てられた女の子「猫森タマ」を主人公にしたユニークなストーリーは、多くのマンガファンを魅了した。松本さんの仕事場へうかがいお話をお聞きした。

「もの心がついた頃から、マンガは大好きでした。描き始めたのは、小学校1年のときです。当時大好きだったドラゴンボールやウルトラマンなどのパロディマンガを描き始めました。自分で連載マンガを5本ぐらい描き、手づくりのマンガ雑誌を作っていました。理由は、とにかく友だちに読んでほしかったから。小1で、描き手ならではの楽しさを知ってしまったのです(笑)」

中学、高校と松本さんは継続してマンガを描いていたが、どうすればプロのマンガ家になれるのか当時はまったく分からなかったという。そんな中で漠然と美術系へ進もうと考えていたとき、通っていた地元の美術予備校の先生がアサビのことを教えてくれた。それがきっかけで興味を持ち、高校卒業後、松本さんはアサビのイメージクリエイション科に入学した。

「アサビでの3年間は、本当に充実していました。アクリル絵の具で大きなサイズの絵画作品を描いたり、オリジナルの絵本を制作したり。特に絵本のストーリーづくりは、今の仕事にかなり役立っています。学校では同じ夢を持つ友人とも出会え、またマンガ以外の小説や映画などにも興味を持ちました。そうしたすべてのことが、今の自分の糧になっています」

最後に、松本さんに学生たちへのメッセージをお願いした。「最初から指南書やノウハウ本に頼らないほうがいいと思います。描く前に、人の答えを求めてしまってはダメです。やれるところまでやって壁にぶち当たったとき、初めてそうした本を開いてみる。これを面倒だと思う人と前向きに取り組んでいく人とで、この先の結果は相当異なってくるだろうと考えています」

2010年3月19日


   



 

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