2020年デザイン学科・視覚デザインコース卒業
グラフィックデザイナー
トリイさん

子どもの頃からおとなしく絵を描いているような子どもで、中学の美術の先生から「美術をやめちゃダメだぞ」と言われたことが嬉しかったです。しかし、私が暮らしている岩手県の田老地区は漁業の町で、絵や美術を仕事にするということは、家族を含めて現実味のない夢と思われるような環境でした。就職を考えて地元の商業高校に進んだとき、美術の授業の中でグラフィックデザインや本の装幀という仕事を知り、「将来モノづくりをしたい」という思いが強くなりました。しかし、2011年の高校2年生のときに東日本大震災がおこり、津波が田老地区を直撃しました。家族は無事でしたが震災後からは避難所での生活となり、高校卒業時には先生に紹介してもらった企業に就職をしました。
配属先が千葉ということもあり東京へはよく遊びにいきました。高円寺にもいきました(笑)。職場では「デザインが好きだ」という話をしても誰も関心を持たない雰囲気でした。2年間勤めて退職した時は何も考えてなかったのですが、実家に戻って働いてお金がたまってきた時に「デザインを仕事にするために学校にいこう!」と思いました。
以前、好きだったイラストレーターのくぼあやこさんが、一度働いてからアサビで学んだということをプロフィールで読みました。年齢を重ねてから入学してプロになる人もいるのだと知り、そういう学校が自分に合っているかもしれないと、アサビの説明会に参加しました。その時は美術やデザインで何をしたいのか具体的な目標はまだ決まってなく、1年生の時に幅広いクリエイティブの基礎を学ぶと聞いて、今の私にぴったりだと感じて入学を決めました。当初はクラスメイトと年齢差もあるので友達は必要ないと考えていました。「とにかく学びたい!」という気持ちが強かったのです。ある授業でソフトウエアの使い方が全く分からなかったとき、同じクラスの年下の子が詳しく教えてくれました(笑)。実際には友達もできて、在学中に年齢差を感じることはなく、周りと楽しく過ごしていました。
授業課題ではテーマによっては興味がわかなかったり、やる気が高まるテーマもあります。自分がやりたい!と思った課題には時間と労力をとことん注ぎ込みました。そして、就職用のポートフォリオもしっかり作り込みました。エディトリアル系の仕事に就きたかったので、学校にくる求人だけでなく美術雑誌に載っている求人も探して現在の会社に入ることができました。
自分が地方出身のせいか、かつては地方のデザインは東京のデザインには劣ると考えていました。しかし、最近では地方で活躍しているクリエイターや、素晴らしいデザインに出会うことがあり、その考え方が変わりました。今後はエディトリアルに限らず地方を活性化できるデザインにも参加していきたいと思っています。


鳥居さんのお仕事 左から:『Smart LOGOS』/『四季dancyu』日常ごはん



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